澎湖713事件は、台湾の離島「澎湖島(ポンフーダオ)」で70年前に起きた悲惨な出来事のことです。
「外省人の228事件」とも呼ばれ、中国の山東省から亡命してきた多くの学生たちが犠牲になったといわれています。
現在の澎湖は日本でいう沖縄のような場所で台湾人のリゾート地。台湾人・中国人の団体観光客もたくさん訪れています。
リゾート地といっても良い意味で全然リゾート感のないところだと思います。観光業のためのカジノ計画もありましたが、2回の住民投票で否決されて頓挫しました。
現在、澎湖の観光スポットとなっている篤行十村は、台湾で最も早くつくられた眷村(外省人居住地区)です。
眷村は、中国から台湾に移住してきた軍人さんたちが暮らしていた集落のことです。台中の有名な観光スポットになったカラフルな彩虹眷村もそうですね。
親しくなる年代が違うというのもありますが、おしゃべり好きな澎湖の人とお茶をしていても「澎湖713事件」の話題になったことはありません。
そもそも当時のことを実際に体験した人に会う機会は澎湖で日常を過ごしているだけではゼロです。
過去の話とはいえ台湾の政治的な話につながるため、とても気軽に話せることではないからです。
2019年でちょうど70年という節目なので、知っていたことや新しく知ったことをまとめておきたいと思いました。
自らが体験したり取材をしたわけではないので、真実や詳細については間違いの可能性があります。私の中国語も完璧ではありません。あくまでも自分用の備忘録です。興味がある方は書籍の購入をおすすめします。
知られざる澎湖の白いテロ
国立澎湖科技大学の林寶安教授は「2016年初めまでは、まるで別の星の話のように全く聞いたこともなかった」と記述しています。
林寶安教授は澎湖713事件についての書籍の著者でもあります。
台湾での白色テロ(反政府勢力の弾圧)は1949年から1987年に戒厳令が解除されるまで続き、それまではこの話題に触れることもタブーだったでしょうから…。
2007年に澎湖713事件の記念碑をつくる提案がなされたとき澎湖県政府は反対し、当時の澎湖県長、王乾発知事(国民党籍)も「この事件を聞いたことがない」と発言しました。
今はニュース記事でも取り上げられていますが、当初は澎湖県政府としてもあまり表に出て欲しくない過去だったのかもしれません。
林寶安教授は「もし隠匿されたとしても一時的なものにしかならない。多くの痕跡は心ある人に見つけられ、また新たに認知される日が来るだろう」と記しています。
「白色恐怖」をテーマにした台湾のノベルゲーム
2016年に她和他和她的澎湖灣 (彼女と彼と彼女の澎湖湾)という歴史ビジュアルノベルゲームが制作されているという情報をたまたま見かけ、そこから澎湖713事件のことを知りました。
日本語版は2019年(※未定)に、Nintendo SWITCH向けビジュアルノベル発売予定だそうです。日本語版だと、タイトルの「他」は彼ではなく「僕」と訳しているんですね。
Erotes Studioはシリアスな歴史的背景をテーマにしたゲームを製作しており、ほかにも228事件をテーマにした「雨港基隆/ユーガンジーロン」などがあります。
両方ともにプレイしたことはありませんが、可愛い女の子たちがヒロインとして登場し、特に澎湖はOP曲も超ノリノリなのに、まさかこんなにも重いテーマで作られているとは…。
日本版のリリースはすっかり止まってしまっていますが、このまま白紙になるのかな。
澎湖713事件を箇条書きでまとめる
- 1949年7月13日澎湖で発生した軍事冤罪事件
- 甚大な被害をもたらした
- 白色テロの時代に最も多くの人がかかわった政治事件
- 「外省人の228事件」とも言われている
山東省から亡命学生が澎湖へ
- 山東省亡命学生、8校計5千人超(7校計8千人とも)が煙台連合中学校の校長『張敏之』の指導のもとに澎湖に到着
- 「澎湖防衛司令部子弟学校」設立
澎湖防衛司令部の内部の諍い
- 同時期、39師団長『韓鳳儀』は部隊を率いて澎湖に駐屯、自身の勢力が弱いことを心配していた
- 39師団長『韓鳳儀』は、澎湖防衛司令部の『李振清』司令官(当時"澎湖王"の別名あり)を妬んでいた
- 39師政戦官『陳復生』と密謀し『李振清』司令官を陥れることに
亡命学生に入隊を強制し衝突が起きる
- 『韓鳳儀』が率いる39師団の士卒は数が少なく兵源の確保が難しかった
- この機会に乗じて亡命学生に入隊を強制、同時に虐待し『李振清』司令官に罪をなすりつけ、憎み合うように仕向けた
- 『李振清』司令官も亡命学生を澎湖防衛司令部の警備隊に入隊させることを望んでいた
- 亡命学生の多くは軍隊へ入ることに抵抗し衝突
当日(1949年7月13日朝)
- 39師団長『韓鳳儀』は大部分の亡命学生を澎湖防衛司令部グラウンドに集合させた
- 身長が銃を超える学生は全員、部隊に入隊させられた
- グラウンドで流血事件を招いた
澎湖713事件発生後
- 軍はスパイを逮捕するという名目で、多くの人を逮捕・拘束し秘密裏に裁判を行い『張敏之』校長など多くの人を処刑した
- 被害者は109名、この事件による行方不明者は300人近くいるともされる
- 事件後『張敏之』校長、鄒鑑と5人の学生(劉永祥・譚茂基・明同楽・張世能・王光耀)はスパイとして台北馬場町で銃殺された
- その他、生徒2名が獄中で亡くなった
さいごに
台湾の白色テロは、228事件のように本省人に起きた悲惨な歴史というだけではないと知りました。しかも中学生なんてまだほんの子どもですよね。
このとき、入隊した学生の中でそのまま軍に残り、後に昇進した方が数名いたようです。
あまり歴史には明るくないので、中国語だと文章を理解するのが余計に難しかったです。完全にはまとめることができなかったので、228事件のことも含めていつか追記したいと思います。
2008年、澎湖の観光スポットのひとつの観音亭に「七一三澎湖事件紀念碑」が設立されました。知る人は少なく、特別ここへ行こうと探さないと辿り着けないくらい目立たないビーチの角にひっそりと佇んでいます。